血液型占いはいつから始まった?——血液型と気質を結び付けた最初の研究は、1927年に教育学者の古川竹二が発表した論文とされます。いまのような形で広まったのは、1971年に能見正比古が出した『血液型でわかる相性』からです。
日本人の血液型の割合は?——A型が約4割、O型が約3割、B型が約2割、AB型が約1割で、4:3:2:1と言われます。
血液型占いはどう楽しめばいい?——自分を振り返る小さなきっかけとして、また友だちや家族との会話のきっかけとして楽しまれてきました。型で人を決めつけず、相手を知る入口として使うのがおすすめです。
「何型?」から始まる会話
新しいクラス、職場の歓迎会、初めてのデート。日本では、名前と出身地の次くらいに「何型?」が出てきます。「A型っぽいね」「やっぱりB型か」——答えを聞いた瞬間に、なんとなく相手の輪郭が見えた気がする。4つの型は、知り合ったばかりの二人がお互いを語るための、手軽で楽しいことばになっています。
星座が12、干支が12、九星が9あるのに比べて、血液型は4つだけ。覚えやすく、誰でも自分の型を知っていて、しかも一生変わりません。この手軽さが、会話の道具として長く親しまれてきた理由のひとつかもしれません。
では、血液型で人柄を語る習慣は、いつ、どこから始まったのでしょうか。
始まりは1927年の論文
ABO式の血液型が見つかったのは1901年。もともとは、輸血を安全に行うための発見でした。
この型と人柄を結び付けたのが、東京女子高等師範学校の教育学者、古川竹二です。1927年に「血液型による気質の研究」という論文を発表し、A型は控えめ、O型やB型は積極的、といった見方を示しました。きっかけは、身近な人たちを観察したことだったと伝えられています。
この説は当時大きな話題になりましたが、調べた人数が少ないことなどから議論が続き、1930年代にはいったん表舞台から退きます。
1970年代、本から広がった
40年あまりたった1971年、放送作家の能見正比古が『血液型でわかる相性』を出版します。恋愛や仕事の相性まで血液型で読み解くこの本は、多くの読者の共感を呼びました。「A型は几帳面」「B型はマイペース」「O型はおおらか」「AB型は二面性がある」——いま私たちが思い浮かべるイメージの多くは、この流れの中で形になったものです。
その後、1980年代には血液型の本が次々に出版され、雑誌の占いコーナーやテレビでもおなじみの話題になりました。日本だけでなく、韓国など東アジアの国々でも、血液型で人柄を語る習慣が広く親しまれています。
4つの型は、4:3:2:1
日本人の血液型の割合は、おおよそ次のとおりと言われています。
| 血液型 | 割合 | 40人なら |
|---|---|---|
| A型 | 約4割 | 約16人 |
| O型 | 約3割 | 約12人 |
| B型 | 約2割 | 約8人 |
| AB型 | 約1割 | 約4人 |
この並びを知っておくと、血液型の話がもう少し面白くなります。たとえば「周りにA型が多い」と感じるのは、そもそもA型の人がいちばん多いからでもあります。40人のクラスなら、AB型は4人ほど。「AB型は珍しい」というイメージにも、人数の少なさが重なっているのかもしれません。
歴史上の人物の血液型
昔の人の血液型は、ふつうは分かりません。それでも、ご遺体やご遺骨、遺髪が学術調査の対象になったことで、血液型まで調べられた人物がいます。
よく知られているのが、平安時代の終わりに東北の平泉を治めた奥州藤原氏です。中尊寺金色堂に安置されている四代のご遺体は、1950年に学術調査が行われ、そのとき血液型も調べられました。結果は、初代の清衡がAB型、二代の基衡がA型、三代の秀衡がAB型、四代の泰衡がB型と報告されています(基衡と秀衡は入れ替わっている可能性があるとも記されています)。
戦国時代の武将では、伊達政宗がB型とされています。1974年、仙台の瑞鳳殿を建て直す前に行われた発掘調査で、遺髪から血液型が分かったと、伊達家ゆかりの団体の資料に記されています。同じ調査で、身長が159.4cmだったことも分かりました。
上杉謙信にはAB型だったという説があります。手紙に押された血判を調べた研究者がいたと伝えられていますが、いつ、誰が調べたのかははっきりしていません。
型が分かると、つい人物の印象と重ねてみたくなるものです。たとえば清衡は、長い戦乱のあと、敵味方の区別なく戦で亡くなった人々を弔うために中尊寺を建てたと伝えられています。冷静で理想を大切にすると言われるAB型のイメージと重ねて読むこともできそうです。政宗は料理にこだわり、自ら台所に立ってもてなしたとも、和歌や茶の湯をたしなんだとも伝えられています。凝り性で、好きなことに一直線と言われるB型のイメージと並べてみると、また違った横顔が見えてきます。
もちろん、同じ人物でも記録や物語によって描かれ方はさまざまで、どの面に光を当てるかは読む人しだい。歴史上の人物を血液型で読み直すのは、人物に親しむためのひとつの入口です。
よく言われる血液型の話
「O型は蚊に刺されやすい」——これは実験で調べられたことがあります。2004年に発表された研究では、ヒトスジシマカ(日本でよく見る「やぶ蚊」)が、O型の人にはA型の人のおよそ2倍止まったと報告されています。ただし、蚊は体温や汗、吐く息にも引き寄せられるので、刺されやすさは血液型だけでは決まらないとされています。
「日本では血液型の話が盛り上がる」——その理由のひとつとして、型のばらけ方を挙げる人がいます。日本はA・O・B・ABの4つがそろって、どの型もそれなりにいます。欧米にはO型とA型で大半を占める国が多く、韓国はA・B・Oがそれぞれ3割ほどです。周りにいろいろな型の人がいるからこそ、「何型?」が話の種になりやすいのかもしれません。
研究ではどう扱われてきたか
血液型と性格の関係は、心理学でも繰り返し調べられてきました。2014年には、日本とアメリカの1万人以上の調査データを使った分析が発表され、生活や考え方についての質問への答えに、血液型ごとの差はほとんど見られなかったと報告されています(縄田健悟、『心理学研究』)。
こうした研究が確かめているのは「血液型で性格が決まるか」という問いです。一方で、血液型占いが長く愛されてきたのは、自分や相手について話すきっかけになり、毎日を少し楽しくしてくれるから。二つは、別々の問いだと言えるでしょう。
血液型占いの楽しみ方
「A型らしい慎重さ」と読んで、今日は落ち着いて準備しようと思えたら。「B型のマイペース」と読んで、少し肩の力が抜けたら。占いのことばは、自分を振り返る小さな鏡になります。
友だちや家族と「当たってる」「いや全然違う」と言い合うのも、血液型占いならではの楽しみです。答えがひとつに決まらないからこそ、会話が続きます。
ひとつだけ心に留めておきたいのは、型で人を決めつけないこと。血液型の話は、相手を知る入口として使うと、いちばん楽しく続けられます。
天測運勢台に血液型の順位がない理由
天測運勢台の毎日の運勢は、その日の太陽・月・惑星の位置などを計算して、12星座の順位を出しています。日付が変われば空の配置が変わり、順位も変わる、という仕組みです。
血液型は一生変わらず、空の配置のように日ごとに動く値がありません。そのため、当サイトの計算の方式では、血液型の順位を出すことができません。血液型占いの良し悪しではなく、当サイトの方式の事情です。
星座の運勢は今日の12星座ランキングで、星座の組み合わせは相性のページで楽しめます。あなたの血液型の「らしさ」と重ねて読んでみるのも、ひとつの楽しみ方です。
出典
古川竹二「血液型による気質の研究」『心理学研究』第2巻(1927年)。能見正比古『血液型でわかる相性』(1971年)。縄田健悟「血液型と性格の無関連性——日本と米国の大規模社会調査を用いた実証的論拠」『心理学研究』(2014年)。日本人の血液型の割合は、医療機関の案内などで広く示されている目安(A:O:B:AB = 4:3:2:1)です。
奥州藤原氏の血液型: 朝日新聞社編『中尊寺と藤原四代——中尊寺学術調査報告』(1950年)、Schmid ほか「The Ōshū Fujiwara」PLoS One 16(10)(2021年)。伊達政宗の血液型と身長: 伊達家伯記念會の資料、瑞鳳殿の発掘調査(1974年)。中尊寺建立の趣旨: 平泉の世界遺産の解説資料。蚊の実験: Shirai ほか「Landing Preference of Aedes albopictus on Human Skin among ABO Blood Groups, Secretors or Nonsecretors, and ABH Antigens」Journal of Medical Entomology 41(4)(2004年)。